好きなものと、好きだったもの

僕はいま、嵐が好き。


僕がジャニオタになるなんて、思ってもいない人生だつた。

今となっては紀元前と紀元後のように

嵐以前のその昔、僕はどうやって生きていたのか思い出せない。

世界が変わったんだ。

芸術は爆発だつた。





僕はいつも同じものを食べる。

昔は意識してなかったけど、

キミの持っているノートには書いてあるのか

もしくは

キミから貰った手紙に書いてあったように思う。

学食でいつもカレーを食べているって。

そういう所、今は分かる。

僕は同じものを今もずっと食べる。

そういう人は犯罪者の素質がある

って、

むかし正男が言ってた。



でも、

それが好きで食べるとか

選ぶのめんどくさいとか

理由は色々あると思うんだけど…。





出会い頭にグッときたり

なんだか気になって徐々に興味をひいたり

誰かの言葉で意識したり、とか


そんな感じで

何かに心を奪われることは減った。

でも

同じものを食べ続けたり

いい大人がお菓子のおまけを集めたり

大好きだったCDは、今はもう聴かないのに

BOOK・OFFには持っていけないし

太って着られなくなったお気に入りの服もしかり。




収集癖って、自己愛の象徴のような気がして

嫌なんだけど

好きだったものは、

今必要じゃなくても、捨てられない。




これはピーターパン症候群か?





好きだったものは少し悲しい。

好きだった頃をとどめておけないから。



国民的とか言われる前の

純粋な子供でもすり減った大人でもなさそうな嵐や

興味や好奇心を沢山持っていた自分や

僕の思う常識を持ち合わせていた友達や

聡明だった母や

尋常じゃない気の強さと猜疑心の塊だった鬼ババア



変わってしまうから。

人ばかりだ。




かわいいだけじゃやっていけないし

知らぬ間に自覚しているより傷ついていたり

守るものもできたし

脳の老化もすすむし

トゲと角しかない人が丸くなったり




経験か

成長か

諦めか

老化か







だから僕は新しい好きなものを増やす。

大好きな人に出逢いたい。